なぜ銅版画かということ

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ごくごく最初の頃の作品です。
展示などさせていただくようになってよく聞かれるのがなぜ銅版画なのかということ。特に絵を描く方面の人によく聞かれます。ストレートに紙などのツールに好きな素材で描かないところが不思議な技法なんでしょう。

なぜ銅版画かというと、皆さんが期待するような魅力をお伝えするようなことは正直なところ私にはできないのです。
それは手段として始まって、技法を追いかけた作品で認められたからです。
何の手段かというと私のリハビリのようなものです。

母が私が20歳の頃、多発性脳梗塞により認知症が始まりまして、10年後には寝たきりになるのですがその後植物状態で10年生きました。20歳の頃はデザインを学ぶ大学生で、その後デザイン系の仕事をして結婚し子供も授かりましたが、母のことは気持ち的には常に背負っており、病院に自分がいないときはいつ病院から連絡が入るかわからないので行動も規制する自由があるようで無い閉塞感の強い日々を送っていました。その体験談については長くなるので書きませんが、問題の多い父とそんな母が亡くなることで20年ぶりに自由になったわけです。

もともと絵を描くことが呼吸するのと同じなくらい当たり前だったのに、メンタル弱く仕事の忙しさや親のことで描かなくなっていたところに突然自由が出来て、さあ再び始めようとしたら躁状態のように舞い上がって思考がまとまらない。描画や木版画は自由すぎて手が付かない。そこで選んだのが、横浜市美術館で4回ほど講習を受けたことがある銅版画だったのです。銅版画は薬剤や機械の力を借りねば出来ず、知識と経験が前提で自由に感情をぶつけるだけでは出来ない技法です。

ただ、横浜で学んだことは全く忘れていて本やインターネットで調べながら、次はどういう技法を試そう?その技法にあった構図は?と作品を作っていったので作風がバラバラなのです。サンドペーパーによる点描は、よりシンプルで金属の版であることを感じる表現にしたいから古典に戻ってヨーロッパの本の挿絵風にしようとか。ディープエッチングは現代的で空想的な感じが似合うとか。
それはデザインの仕事のくせでもあったのです。ディスプレイの仕事は商品をよく見せるのが仕事であって臨機応変にその場のシチュエーションにあわせていくので、個を表現していては逆に仕事の幅がなくなるのです。その癖に気付くのに3年かかりました。

そんな感じでほぼ銅版画に対する知識も感性も無いまま初めて今に至っています。

今年になってより自分らしくやれるよう、他の画材でも描いてみようと思っています。それは銅版画の為の修作でもあり、銅版画のおかげで描けるようになったものなのです。

そしてようやく自分にとっての銅版画の魅力がわかってきたようです。







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# by sougyoan | 2018-07-19 15:28 | 銅版画/etching | Trackback | Comments(0)



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